天理教の教えについて、もう少し詳しくご紹介いたします。

立教

江戸時代後期の1838年、庄屋敷村(現 奈良県天理市)の農家の主婦であった中山みき様の身体に、突如として親神 天理王命様が入り込まれました。以来、親神様は中山みき様の口を通して、その思召しを人間にお伝えくださいました。

中山みき様はお姿こそ人間の女性ですが、そのお心はまったく親神様の心となり、「神のやしろ」という立場にお定まりになりました。そして人々からは「おやさま」と呼ばれるようになりました。
私たち人間は、おやさまによって初めて、この世人間をおはじめになった親神様の思召しを聞かせて頂くようになったのです。
これが天理教の始まりで、天理教ではおやさまが「神のやしろ」とお定まりになった1838年(天保9年)10月26日を立教の日としています。

教え

天理教の教えの根幹は、「神のやしろ」とお定まりなされたおやさまの、その後50年間の御歩み、おっしゃったこと、お書きになったことにあります。
その教えの内容を、一言で表すならば「陽気ぐらし」です。
そもそも遠い遠い昔、この世がまだ混沌とした泥海の世界だったころ、その世界を味気なく思われた親神様がおはじめになったのが、われわれ人間です。そして親神様は、人間が互いに助け合い、陽気に暮らすのを見て、神も共に楽しもうと思われたのです。
しかし、人間にはそういう元の親の思いが分からないので、創造主である親神様自らが、おやさまを通して人間世界に現れたのです。人間の元を知らせ、「陽気ぐらし」という最初の目的に目覚めさせるために開かれたのがこの教えです。
天理教において人が助かるとは、人々がこの「陽気ぐらし」の生き方に目覚めて、その生き方を実行していくことを言います。

教会

おやさまは陽気ぐらしの道をつけるために、何も知らない人間に対して、50年の間お姿をもってお示しくださいました。
陽気ぐらし実現の手立てとして、おやさまは「おつとめ」を教えてくださいました。そして、このおつとめの実行を人々にお求めになりました。ところが幕末から明治にかけての当時、勝手に人を集めて認可のない神名を唱えることは法律で禁じられていました。「おつとめ」をつとめるたびに、当時の警察はおやさまを連行し、牢屋に閉じ込めました。おやさまを慕いつつも、おやさまの言うとおりにすれば、おやさまの身にご苦労がかかる。人々はこの板挟みの間に悩みました。そこで、政府の公認を得ようとして始まったのが、天理教会の設置です。
明治21年、初めて教会が公認されました。これが現在の天理教教会本部です。

やがて同じ信仰を共にする者たちが、自分たちも教会を設置して信仰活動をしたいという思いで、日本全国、世界各国に誕生したのが、現在の天理教の教会です。

伊東分教会は、明治27年、教会設立のお許しを頂きました。

世界助けに歩まれるおやさまの後に従い、私たちもまた、地域の方々のたすけになるようこれからも歩んで参ります。

教えの詳しい部分についてはどうぞ直接お尋ねください。
また、天理教の公式ホームページにも見やすく載っています。
➡公式
https://www.tenrikyo.or.jp/